【新卒】ゆとり世代は懐疑と贖罪と再建の狭間にいる
今日、なんだか唐突にタイトルのようなことを思いました。 ゆとり世代は懐疑と贖罪と再建の狭間にいる んです。 我ながら唐突だなあと思うので、なんでそんなことを思うようになったのかを少し整理してみたいと思います。 まず、「懐疑」の部分から。 今、新卒の就職界隈は先の見えない暗黒面に突入しようとしています。ちょっとずつ良くなったり、時々悪くなったりはしているものの、慢性的に「新卒の採用控え」状態に入っていて、内定がでないことを苦に自殺する学生さんが5年前に比べて2.5倍に増えたなんていうニュースが出回っています。 その一方で、企業側は「いい学生がいない」と嘆いています。採用意欲はあるし人材は欲しいけど、求めるような学生の数が少ない、と言うのです。不思議な状態です。 何度かこのブログにも書いていますが、企業側が目指しているものと新卒人材が目指しているものにギャップが生まれていて、双方歩み寄れない状態になっているわけです。 企業は、この苦しい中でも状況を打開して光明を見いだしてくれるようなアグレッシブな人材を求めていますが、学生さんは、この苦しい状況が20年30年続くかもしれないことを想定して、安定した堅実な仕事を求めています。 もちろんそうではない企業もあるし、そうではない学生さんもいるとは思いますが、なんだか色んなところからそんな空気が感じられます。 つまりは、 「企業が求める人材像になったからと言って、幸せになれるとは限らない。自分の身は自分で守らねば。」 という防衛本能が、新卒さんたちの間で芽生えて来たのではないかと思うのです。 これはまったくその通りです。 新卒で採用した後、その社員を一生面倒見れる体力のある企業は本当に少なくなりましたし、仮に今そうであったとしても、過去のメーカー企業がそうであったように、10年後にはどうなっているのか全くわからないのだということを、私たちは現在進行形でまざまざと見せつけられています。 企業が思い描く理想の新卒者を目指して、なりふり構わず頑張るには、不安要素が大きすぎるのです。そのために(今の)自分を捨てたからって、一生涯の生活が保証されるとは限らないのですから。 だからこそ、新卒さんたちは、今の企業のあり方や将来性に100%の信頼を置けていないし、求められて